オリジナル小説「秘密の八重歯」第二章 – 11
ワシントンから羽田への晴れ晴れとした旅路
日本への旅立ちの日、キヨとノエルは夫の運転するマーキュリー8で、自宅のあるアーリントンのブルーモントから、ワシントンナショナル空港へと向かっていた。時間にして、わずか12分という距離である。リチャードが勤務するペンタゴンにも5分以内で行ける場所にその空港はある。

キヨとノエルが乗るロッキードのスーパー・コンステレーションは、1950年代後半にジェット旅客機が普及するまでの間、太平洋や大西洋横断路線の主軸として使われた旅客機だ。プロペラ機とはいえ、イギリスのデ・ハビランド社が開発した世界初のジェット旅客機と比べ、安全性にかけては一枚も二枚も上だった。
当時のアメリカでは、この旅客機を主に政府要人や米国務省、CIA関係者の輸送用に使っていた。乗客数は80〜100名ほどだったが、それでも「クイーン・メリー」や「ユナイテッド・ステーツ」、「クイーン・エリザベス」などの豪華客船をいずれも衰退に追い込むくらいに活躍した旅客機だった。
リチャードは、大きなトランクケースを空港の搭乗口まで運んであげると、キヨとノエルにお別れの抱擁をしてから、二人の姿が見えなくなるまでずっとその場で見送った。いつもは見送られる側だったリチャードにとって、はじめて味わう惜別の瞬間だった。

旅客機での渡航は、何十日間にも及ぶ航海と比べたら天国と地獄ほどの差がある。キヨにとってのはじめてのフライトは、窓から見える景色と同じように晴れ晴れとした旅路だった。行き先は羽田飛行場(Haneda Army Airbase)である。日本の航空会社の使用が許可されるのは、1951年10月25日以降のこと。離発着できるのは、ノースウェスト航空、パンアメリカン航空、英国海外航空、フィリピン航空など、連合国の民間航空会社の定期便のみだった。
羽田に到着して、はじめにキヨが向かった先は、横浜の米国領事館だった。すでにグリーンカードを持っていたキヨだが、日本への入国となると本人確認のためにまずここを訪れなくてはならない。もっとも、米国務省が発行した特別許可証をもつキヨは、すべての面で優遇される立場にあった。今後のキヨの職場も、同じこの領事館であることを考えれば、真っ先に訪れるのは当然である。
羽田飛行場には、米国領事館で働くCIAの上官が手配したクルマが待っており、重いスーツケースをクルマに乗せると、キヨとノエルはすぐに横浜へと向かった。はじめてミシガンへと到着するまでの行程とは比べ物にならないほどスムースな流れだ。米国領事館での手続きが終わったキヨは、ノエルと共に連合国軍の記者宿舎として使われていたバンドホテルの一室を借りてそこに宿泊をした。
宿舎に着くと、キヨはすぐにリチャードと麻布の実家宛てに手紙を書いた。どちらも横浜に無事に着いたという知らせだ。リチャード宛ての手紙には、快適だった空の旅の話をすこし自慢げに書いた。実家宛てには、ノエルともども元気に横浜へ到着し、週末には実家に帰る予定であることを、久しぶりの日本語を確かめるように書き記した。
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