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オリジナル小説「秘密の八重歯」第五章 – 9

残された大量の遺留品

警察では、事件発生から都内全署に緊急配備指令を敷いた。更には、神奈川、山梨、埼玉、千葉にも検問を設けたが、犯人逮捕には至らなかった。この影響で首都圏の交通は完全に麻痺してしまい、収拾が付かない事態に陥ったため、午後1時から3時44分にかけて、次々と緊急配備を解除せざるを得なかった。

 

警視庁は12月10日の午後、府中署に特別捜査本部を設置。現金輸送車が奪われてニセの白バイが乗り捨てられた場所を第1現場、現金輸送車が発見された西元町の七重塔跡近くの笹薮を第2現場、緑色カローラとレインコートが脱ぎ捨てられていた栄町の空地を第3現場と呼んで捜査を始めた。初動捜査の遅れによって犯人を取り逃がしたものの、ニセ白バイをはじめ緑色カローラや現金輸送車などの大量の遺留品が残されたこの事件には、早期解決の楽観ムードが色濃く漂っていた。

 

三億円事件で使われた、120点以上にも上る大量の遺留品 ※特別捜査本部にて

 

久しぶりに恋ヶ窪の戸倉にある実家へ戻った少年Sは、テレビの報道を見ながらほくそ笑んでいた。19年生きてきた今までの人生で、今日は間違いなく最良の日であり、自分が目指してきたアンチヒーローとしての最高到達点だと感じたからである。自分たちは、理想郷を掲げて社会を変えようとする学生運動家ではないし、無気力で自堕落なフーテン族でもない。大きな組織としてではなく、たった3人によるチームワークでこの大きなヤマを成し遂げたのだ。そんな、強い自負をSは感じていた。

 

一方のノエルは、現金3億円という被害額をニュースで知って、改めてその金額の多さに驚いていた。ジュラルミンケースにそこまで多くの現金が入っているとは考えもしなかったのだ。3人で分けたとしても1人あたり1億円という大金である。1億もあれば、レーサーとしてデビューするだけでなく、レーシングチームを率いることも不可能ではないだろう。そんな近い将来の夢に向けて、ノエルは思いを馳せていた。

 

事件の翌日となる12月11日の夜、ノエルはヴィレッジの駐車場に駐めてあるスカイライン2000GTに乗って、センパイOの自宅へと向かった。少年Sも同じ時間に来る約束である。ノエルが着くと、センパイOは玄関先で彼を出迎えた。“やったな”と言って肩をたたいて抱擁すると、ノエルを居間へと導いた。少年Sはすでにやって来ていて、ソファに座っていた。

 

「現金は無事か?」

「ああ、大丈夫だ」

 

Sとノエルが話すのを聞いていたOは、こう言った。

「盗んだカネだが、銀行では札の番号を控えてあるはずだ。もしもその番号が公表されれば、その金は使えなくなる」

「何故です?」

 

Sがそう聞くと、Oは答えた。

「この事件は、今の報道ぶりを見ても明らかなように、しばらくの間はテレビや新聞、週刊誌の格好のネタになるはずだ。番号が公表されれば、ピン札の番号にはみんな敏感になる。不用意にカネを使えば、110番通報されて足がつく可能性もゼロではない」

「それじゃあ、どうすればいいんですか?」

 

「今回の3億は、オレの方で責任を持って資金洗浄する」

「資金洗浄?」

 

「そうだ、汚いカネをきれいなカネに交換するのさ」

「でも、どうやってそんなことをするんですか?」

 

「このカネを、ある機関に預かってもらい、クリーニングしてもらう。それが済んだら、手数料を払って戻してもらうんだ」

「どこか海外の銀行にでも預けるということですか?」

 

「まあ、そういうことになるだろうな・・」

「しかし、我々の元へとカネが戻ってくる保証はあるんですか?」

 

「そこは、オレを信用してくれ。もし、戻って来なければオレの首をやるさ」

Oは、そう言うと鋭い視線をSに向けて話を続けた。

 

「このヤマに関しては、3人のうちの誰か1人でも捕まったらお終いだ。3億のうち1億しか持ってないとなれば、必ず他の共犯者が浮かび上がる。だから、カネはしばらく一緒にしておいたほうがいい」

「しかし、ヤマを越えたら3人で山分けするっていう約束だったじゃないですか」

 

「もちろん山分けするさ。だが、すぐにとは言ってない」

「じゃあ、いつもらえるんですか?」

 

「そうだな…早ければ年内には戻ってくるだろう」

少年Sとノエルは、それを聞いてすこし安堵の表情を浮かべた。それにしてもセンパイOという男は、一体何者なんだろう・・。Oの背後に見え隠れする謎の男と闇組織のことがノエルの頭をよぎった。用意周到な計画に、一般人では入手も難しいであろうハンディトーキー。それに、いとも簡単に工事用トラックを準備するという手際の良さ・・・。

 

ノエルがそんなことを考えているのを打ち消すように、Oは冷蔵庫から瓶ビールを取り出してきてこう言った。

 

「まあ、飲もうや。計画はすべてうまく行ったんだ」

「はい」

 

3人は、コップに注がれたビールで乾杯した。苦いビールの味が体に染みわたる。Oは、ある一点を見つめながら言った。

「しばらくの間は、じっとしていたほうがいい。別件逮捕でしょっぴかれちまってはたまらんからな・・それから、もしそうなった時のことも考えて、オマエらもアリバイを考えておいたほうがいい」

「アリバイ?」

 

「そうだ。オレのアリバイはすでにある。あの工事用のトラックがそれだ。9日の夜から10日の朝にかけて、オレはある人の夜逃げを手伝ったことになってるのさ・・。訳アリだから手伝った相手の名前は知らないが、トラックを貸してくれた工事会社の社長はちゃんと証言してくれるだろうよ」

「なるほど!」

 

「警察は、立川基地の中までは調べられない。だから、ノエはその点安心だが、心配なのはSのほうだ。クルマの窃盗常習グループに属していて、父親が白バイ警官とくれば、オマエが真っ先に疑われる可能性は高い。だから、早めにアリバイ工作をしておいたほうがいいだろう」

「わかりました」

 

「とにかく、これから3カ月の間に警察の追っ手が来なければ、このヤマは必ず迷宮入りする。3カ月もすれば、カネもきれいになって戻ってくるだろう。そうなれば、もうこっちのもんだ。あとは、煮て食おうが焼いて食おうが、カネの使い道は自由だよ」

「本当に、自由に使えるんですかね? あまり派手に使ってしまうと怪しまれるのでは」

 

ノエルがそう言うと、Oは“うん”とうなずいてからこう言った。

「それが心配なら、時効を待てばいい。今回のヤマでは誰も傷つけてない。世間の注目は大きいが、これは単なる窃盗に過ぎない。うまく行けば7年後には時効になるさ」

 

Oがその話をしたとき、ノエルはOの背後には何らかの闇組織が存在するという確信を持った。Oの表情からは、すべてを見通しているというより、なにか巨大な組織に守られている余裕のようなものを感じたからだ。

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