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オリジナル小説「秘密の八重歯」第五章 – 16(最終回)

目に見えない、大切なものを追い求めて

主犯のOは、ハワイでの生活を経てフィリピンのマニラに移り住んで平穏に暮らしたが、共犯者のノエルは、その後どのような人生を歩んだのだろうか?

 

1970年 大阪万博の巨大モニュメント「太陽の塔」岡本太郎作 ※太陽の塔オフィシャルサイトより

 

1970年、大阪で万国博覧会が幕を開けた3月半ば、ノエルを含むリチャード家の3人は、ワシントン郊外のバーモント州アーリントンに15年ぶりの帰国をした。この年、リチャードは60歳を迎え、キヨは48歳になろうとしていた。米空軍佐官として重要な任務を担ってきたリチャードだが、横田基地での任務を終えるのと同時に、軍人としての人生にもピリオドを打つことに決めたのである。

 

キヨの仕事は順調で、アメリカに戻っても引き続き日本語インストラクターの仕事は米国務省(CIA)が保障してくれることになった。夫婦2人で稼いできた今までの貯蓄や、数年後からリチャードに支給されるソーシャルセキュリティ(公的年金)を含めれば、悠々自適の生活である。

 

メリーランド州 ベセスダ ノールウッド・ロードに面した一軒家

 

一家は、メリーランド州のベセスダの一軒家へと引っ越した。アメリカへの帰国を機に、ノエルは海軍パイロットを目指してメリーランド州アナポリスの海軍兵学校に入学することになった。皮肉なことに、キヨが“もし、男に生まれ変わっても絶対になりたくない”と語っていた船乗りの道をあえて歩んだのだ。

 

1年半前にカオリと横浜の港で見た、青い光に照らされた氷川丸。地球の7割を占める広大な海を何日もかけて航海をする巨大な船の姿を思い浮かべると、サン=テグジュペリの『星の王子さま』のなかに出てくる「大切なことは、目に見えない」という一節が、なぜか頭に浮かんでくる。

 

自分にとっての大切なこととは何なのだろう? 金銭的な裕福さでは毛頭ない。目に見える「数」よりも大事なのは、目に見えない「気持ち」のほうなのだ。広大な海と無限の空という大自然に自分の体を捧げれば、その大切なことを体で感じることができるかもしれない。

 

前年の1969年7月に、アポロ11号が人類で初めて月面着陸を成功させたことも、ノエルの海軍兵学校進学を後押ししている。人類で初めて月面に降り立った、ニール・アームストロング船長が海軍パイロット出身だったことは、決して少なくない影響を与えているだろう。

 

1967年 ヨーロッパを旅行中の福澤幸雄

 

アポロの月面着陸より5カ月前の、レーサー福澤幸雄の事故死は、それまで生きてきたノエルの考え方を一変させた。福澤亡き後にデビューを果たせば、同じハーフのレーサーとして世間の注目を浴びたに違いない。しかし、カネにものを言わせてレーサーになったところで、本当に大切なものを得ることはできるのだろうか? ノエルの心の中では、そんな疑問が日に日に強くなっていったのだった。

 

強奪金で買った唯一のクルマ、トヨタ2000GTはレーシングチームのオーナーに譲り渡すことにした。ノエルは、それと同時にモータースポーツの世界からも身を引く決心をする。

そして、教会の聖堂の一角で自分の犯した罪を告解すると、神父に勧められて、ある慈善団体に高額の寄付を行ったのである。このことで、ようやく本来の自分を取り戻したノエルは、残った財産の大部分を、少年Sが亡くなる直前まで彼の面倒を見てくれていた新宿のゲイボーイKに託すことに決めたのだった。

 

1968年から69年までにピークを迎えていた学生運動は、1970年を境に党派闘争が激しくなり、次第に内ゲバへと発展していく。これらに加えて過激派による爆弾や銃による武装がエスカレートし、リンチ殺人事件などが発覚したことで、学生運動は急速に支持を失っていく。1972年の沖縄返還によって、それまでの反米感情も薄れていき、若者たちの闘争も潮を引くように静まっていった。

 

1969年4月24日に府中の特別捜査本部の主任に配属された平塚八兵衛は、公訴時効の9か月前に健康上の理由で依願退職をしている。平塚によって、三億円事件は単独犯によるものとされてきたが、平塚が去ったあとの特捜部では、立川グループのメンバーを中心とした複数犯という原点に立ち返った捜査を行う。公訴時効寸前の1975年11月には、立川グループに属していた容疑者Zを別件で逮捕するが、決定的な証拠を掴むことが出来ず、Zも容疑を否認したためにやむなく釈放している。

 

そんななか、府中で起きた現金輸送車強奪事件の発生から7年後の1975年12月10日、三億円事件は刑事事件としての時効が成立。容疑者リストに載った人数は11万人、捜査した警察官延べ17万人、捜査費用は7年間で9億円以上が投じられた史上空前の捜査は、ついに幕を閉じたのだった。

 

三億円事件が時効を迎えた1975年には、1968年にコロンビア大学で起こった抗議行動を描いたアメリカ映画『いちご白書』を題材にした『いちご白書をもう一度』が大ヒットしている。同時代に日本でも起こった学生運動を懐かしむ歌詞と切ないメロディーが印象的な曲だ。

 

1975年にリリースされた、バンバンのLP『季節風』。1曲目に『いちご白書をもう一度』が収録されている。

 

そして、この曲が日本のいたる所で流れているころ、アナポリスの海軍兵学校を卒業したノエルは、米海軍パイロットとして米軍横須賀基地への配属を志願して再び日本の土を踏むのだった。

 

5年ぶりに日本へ戻ってきたノエルは、横須賀のドブ板通りにあるバーで久しぶりにカオリと再会した。ノエルは、アメリカに帰った自分が海軍兵学校に入学したきっかけを彼女に話した。

「あの日、君と横浜港で見た青いライトに照らされた大きな船を見ていなかったら、ぼくは海兵隊には入らなかっただろう」

「きれいな景色だったわね」

 

「ぼくは、あの日見た情景から、この広い海と無限の空のなかに大切なことがあると信じて海軍パイロットを目指したんだ」

「そう・・それで、あなたが探していた大切なことは見つかったの?」

 

「いいや、まだ見つかってない・・。だから、また日本へと帰ってきたんだ」

「見つかるといいわね・・あなたの大切なこと」

 

カオリがそう言うと、ノエルは彼女の手を握ってこう言った。

「目に見えないものが、美しさを生み出すんだ。例えば君のように」

「え?」

 

「カオリ・・ぼくと一緒にいてくれないか?」

「うん・・」

 

「愛情というものは、時間をかけて育てるものだ。だから、君と一緒に少しでも多くの時間を過ごしたい」

「あなたに突然、そんなことを言われて・・驚いちゃった。でも、うれしい」

 

メリーランド州 アナポリスの名物。卒業式の帽子投げの様子。

 

ノエルとカオリは、この日にはじめてお互いをよく見つめ合った。若い頃のようなファッション感覚で付き合うのとは違う。ノエルは、今では海軍パイロットの若き将校だ。カオリも大学を卒業して、今では羽田空港でグランドホステスとして働いている。

 

1968年からの数年間という、あの狂乱と激動に満ちた日々を過ごしてきた2人は、年齢こそ数年を積み重ねただけだが、その内面は十数年に等しいくらいに成長していた。そして、2人はこの再会を機に、一輪のバラを大切にするかのごとく、互いに通じ合う心の絆を信じて、一緒に歩んで行くことを誓ったのだった。

 

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