懐かしのフォーティファイブ 45rpm 第8話
メリー・ホプキン「悲しき天使」
アップル・レコードの第1弾タレントとして1968年にデビューしたメリー・ホプキン。彼女のデビューには当時トップモデルだったツイッギーが深く関わっていたという。メリーが出演したタレントスカウト番組を偶然テレビで見ていたツイッギーが、ポール・マッカートニーに彼女のことを伝えたのだ。メリーの歌を目の前で聴いたポールは彼女の才能に惚れ込み、アップルと4年のレコーディング契約を結ぶのである。
デビュー曲に選ばれたのは、ポールが長年気に入っていたロシアの歌謡曲をアレンジした「悲しき天使」。プロデューサーとして全面的に携わったポール指導の元に録音されたこの曲は、ビートルズの「ヘイ・ジュード」と同時発売され、イギリスでは「ヘイ・ジュード」の3週連続1位を阻止してヒットチャート1位に輝くと、6週連続で首位をキープするという偉業を成し遂げる。その後、この曲は世界13カ国でも1位を獲得して、500万枚を売り上げる大ヒットを記録する。
「悲しき天使」という邦題は、原題の”Those Were the Days”(あの頃がなつかしい)とはかけ離れたタイトルである。壮年期の人間が、とある居酒屋で仲間たちと過ごした青春時代に思いを馳せているという歌詞内容とはまったく関係がない。1968年当時の日本では、映画や外国曲に独自の邦題をつけるのが当たり前の時代であった。哀愁のあるメロディと絶妙にマッチした名ネーミングと言えるだろう。
いかにもロシア民謡という主旋律を持つこの曲は、スローな歌い出しのAメロから、Bメロに変わる際に4/4拍子から2/4 拍子へと移るという特徴を持つ。ややふっくらとしたメリーの顔立ちもどこか北欧的で、とりわけミニスカート姿でギターを抱える愛くるしい彼女の姿は、新たなファッションリーダーとして世界中の人々の共感を呼んだのだった。日本には、1970年の万国博覧会に来日して多くの話題を振りまいたのを覚えている方もいるのではないだろうか。
では、この世界中でミリオンセラーを記録した、1968年シングルチャート年間3位の「悲しき天使」を聴いていただこう! Let’s Play Music ♫
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