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ウォーホルがデザインしたアルバムカバーの軌跡

ウォーホルのデザインワークはどう変わったのか?

アンディ・ウォーホルは、画家としてデビューする前は商業デザイナーとして数々の仕事をこなしていた。彼がポップアートの画家として一世を風靡したのは1962年以降のこと。それまではグラフィック・デザイナーとして依頼仕事を請け負うごく普通のクリエイターであった。彼が手掛けたアルバムカバーを年代ごとに追うことで、その作風の変化を知ることができて興味深い。

 

 

1950年代初期はクラシックのアルバムカバーが中心

ウォーホルは1949年頃からアルバムカバーを手掛けるようになるが、その対象はクラシックがメインであった。当時レコードはSPからLPへと移り変わる過渡期であり、12インチで片面5分が最大だったSPから、同サイズで片面25分が聴けるLPが登場するという、レコード市場にとっては大きな変革の時代であった。それまでは、アルバムカバーという概念さえなかったレコードにジャケットが付くようになり、そのカバーデザインが売り上げを左右するようになったのだ。

 

Carlos Chavez A Program of Mexican Music (1949)
Vladimir Horowitz Piano Music of Mendelssohn and Liszt (c.1951)

 

この時代からウォーホルがアルバムカバーを手掛けていたということは、レコードジャケットの最初期からこの仕事に関わっていたということになる。21歳の時にデザインしたカルロス・チャベスのアルバムカバーから、最晩年のジョン・レノンのアルバムまで、生涯に渡って音楽と密接に関わっていたといえるだろう。初期のアルバムカバーを見ると、同時代のジャケットデザインとの大きな差異はなく、これを見てウォーホルがデザインしたと分かる人はまずいないのではないだろうか。

 

Gioachino Rossini William Tell Overture; Semiramide Overture (NBC Symphony Orchestra/Arturo Toscanini) (1953)

 

一方で、トスカニーニによるロッシーニ「ウィリアム・テル組曲」のカバーデザインは、後のポップ・アートの片鱗を感じさせるものとなっている。LPよりもひと回り小さな45回転EPサイズに即したデザインと見ることもできるが、後の代表作であるヴェルヴェット・アンダーグラウンドのバナナカバーにも通じるリンゴを大きくフューチャーしたデザインは当時としてはさぞかし斬新だったに違いない。

 

1950年代中期からはジャズのアルバムカバーを手掛ける

1955年以降は、当時の大衆音楽の主流だったジャズのアルバムカバーを手掛けるようになる。カウント・ベイシーのアルバムカバーは、水彩画によるシンプルな似顔絵が印象的で、ベイシーの人間味が溢れる実に味のあるデザインに仕上がっている。リズムが躍動するベイシーの楽しいピアノが聴こえてきそうなジャケットだ。

 

Count Basie  Count Basie  (1955)

 

1956年以降は、プレステッジ、ブルーノートといったモダンジャズの名門レーベルのアルバムカバーを手掛けるようになる。これらモダンジャズのアルバムは、それまで主流だったスイングからビ・バップを経て、高度な演奏テクニックとアドリブ演奏がメインのモダンジャズ黄金期といえる時代に残されたものだ。文字やイラストを多用したジャケットが多かったプレステッジに対して、ブルーノートのアルバムカバーは、リード・マイルズによるデザインとフランシス・ウルフの写真という均整の取れたデザインを看板としており、レコードのデザイン史という観点から見ても後世に残る傑作が数多くある。

 

Thelonious Monk Monk (1956)

 

ウォーホルがブルーノートに残したアルバムカバーは、そうしたブルーノートの看板デザインから逸脱したイラストが採用されており、本道からは外れたものとなっている。ブルーノートの創始者だったアルフレッド・ライオンは、マイルズとウルフという黄金のチームとは別に、新進デザイナーとして注目されていたウォーホルによる別のラインを構築しようとしていたのではないだろうか。担当したミュージシャンがケニー・バレルやムーンドッグといった、ハードバップのメインストリームからすこし外れたミュージシャンだったことからも、新生ブルーノートのイメージを表現したいという意図が感じられるのである。

 

Kenny Burrell Kenny Burrell, Vol. 2 (1957)
Kenny Burrell Blue Lights, Volume 1 (1958)

 

ポップ・アートの騎手として世界の注目を浴びてからの変化とは?

この後、数枚のアルバムカバーを残したウォーホルだが、1962年にアート作家として再スタートを切り、それが多くの人々に受け入れられたことで、絵画や短編映画の制作のほうに時間をとられ、アルバムカバーからは遠ざかることになる。しかし、1967年に自らが見出したヴェルヴェット・アンダーグランドのデビューアルバムをプロデュースする際に、久しぶりにアルバムカバーを手掛ける機会を得る。これが、あまりにも有名なバナナのイラストである。

 

 

 The Velvet Underground   Velvet Underground and Nico (1967)

 

バナナの右上には「ゆっくり剥がして」と書かれており、皮を剥がすとピンク色をしたバナナの実が現れる仕掛けがしてあるこのアルバムは、当初3万枚しか売り上げなかったが、後になって再評価が進んで今ではロックの歴史の1ページを刻んだ名盤として語り継がれるまでになった。ルー・リードとジョン・ケイルという若き才能を見出し、モデルのニコを加えさせることでスタイリッシュなイメージを付加させたウォーホルの手腕は確かなものだったといえるだろう。

 

ローリング・ストーンズの傑作アルバムのジャケットを担当

1967年当時は、そのファッション性ばかりに注目が集まり、音楽性についての評価が定まらなかったヴェルヴェット・アンダーグランドは、ウォーホルの元を離れて独り立ちしていく。バンドをプロデュースすることで複合的なアート表現を成し得たウォーホルだったが、翌年の1968年にファクトリーにも出入りしていたヴァレリー・ソラナスに狙撃される不運もあってか、プロデュース業からは遠ざかることになる。一命をとりとめたウォーホルが次に手掛けたのは、大物ロックバンドのローリング・ストーンズのアルバムだった。

 

 

The Rolling Stones  Sticky Fingers (1971)

 

ノリの良いカッティングギターのイントロが印象的な「ブラウン・シュガー」で始まるこのアルバムは、デッカから移籍後に自分たちのレーベルとなるローリング・ストーンズ・レコードからの初リリース作でもあり、ブライアン・ジョーンズが抜けてミック・テイラーがフルに参加した作品で、メンバーのやる気がみなぎった彼らの最高傑作とも評される名盤だ。ウォーホルが手掛けたアルバムカバーは、ジーンズを履いた男性の下半身がアップになったもので、ジャケットには本物のジッパーが取り付けられた凝ったデザインが採用された。

 

ジッパーを下ろすとブリーフの下着を着たインナーカバーが現れるというギミック付きのアルバムが話題を呼ぶと同時に、佳曲揃いの中身も相まって、アメリカとイギリスで売り上げ1位を記録する大ヒットアルバムとなった。ビートルズ解散後のロック界で、その地位を決定的に印象づけた記念すべきレコードでもある。ウォーホルが手掛けた数々のアルバムカバーのなかで、もっともセールス的に成功した一枚といえるだろう。

 

The Rolling Stones Love You Live (1977)

 

ローリング・ストーンズとは、この後も1977年に「ラブ・ユー・ライブ」で再度コラボレーションが実現する。ストーンズにとって3枚目となるこのライブアルバムは、ロン・ウッドが参加して以降、キース・リチャードとの絶妙なギターの掛け合いに一段と磨きがかかり、ロック界最強のライブバンドとして再認識されるきっかけとなった作品だ。1970年代のウォーホルによる著名人のポートレートに色や絵を重ねた作風が、ミック・ジャガーの印象的な横顔に集約されたアルバムカバーは、後期ウォーホルの代表的な一枚といって良いだろう。

 

ブルーノートの看板デザイナーにも影響を与えたウォーホルの手法

最後に、ブルーノートに数々の優れたアルバムカバーを送り出したしたリード・マイルズによるレコードジャケットを一枚紹介する。1966年に発表されたこのアルバム「ユニット・ストラクチャーズ」は、フリージャズのピアニスト、セシル・テイラーによる作品で、それまで主流だったモダンジャズから、より自由な解釈で既成の枠組みから抜け出そうとする強烈なパワーを秘めた一枚だった。1950年代からブルーノートが築き上げてきた伝統的なモードから、次なるジャズの方向性を見出そうとして提起されたこの作品のアルバムカバーは、まるでウォーホルのデザインのように見える。

 

Cecil Taylor Unit Structures (1966)

 

反復する同一アングルのモノクロ写真に、カラーフィルターを施してカラフルなイメージの連環を表す手法は、ウォーホルがキャンベル・スープなどをモチーフにした一連の作品で1962年に発表したのと同じものだ。モノクロ写真に印象的なタイポグラフィーで独自のデザインを築いてきたリード・マイルズが、ウォーホルのこの手法を用いたのは、それまで自分が手掛けてきた音楽とはあきらかに異なるセシル・テイラーの音楽を、同時代のヴェルヴェット・アンダーグラウンドなどと同様、LSDの幻覚症状が誘発するサイケデリックな世界観と同一視していたのではないかと思わせるのだ。

 

 

William S Burroughs  The Naked Lunch (1959) / Ornette Coleman The Shape Of Jazz To Come(1959)

 

ウィリアム・S・バロウズが1959年に発表した小説「裸のランチ」と同じ年に録音されたオーネット・コールマンの「ジャズ来たるべきもの」が、ビート・ジェネレーションとフリージャズという新たな時代の幕開けを飾った後、ポップ・アートを生み出して時代の寵児となったウォーホルは、その後に「死」をテーマとしたアンダーグラウンドな世界へと舵を切っていく。これはそのまま、ビート・ジェネレーションのフォロワーとしての自分の役割を悟ったかのようにも思えるのだ。

 

一方でセシル・テイラーが、オーネット・コールマンの精神的フォロワーであることに異論を挟む者はいないだろう。フリージャズの新しい開拓者として注目を浴びていたテイラーに、ウォーホルの影を重ねた結果として、このアルバム「ユニット・ストラクチャーズ」のデザインが出来上がったと推測するのは、いささか飛躍しすぎだろうか?

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