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20世紀末のクラシックカメラ・ブームとは何だったのか?

20世紀末に突如として起こったクラカメブーム

1996年〜2001年くらいにかけて、中古フィルムカメラのブームが突如起こった。時代は銀塩フィルムからデジタルへと移り変わろうという時代に、なぜフィルムカメラブームは起こったのだろうか。本屋には、クラカメを特集したムック本が並び、ライカやニコンをはじめとするクラシックカメラを取り上げる単行本が毎月発売される異常なブームだった。

 

 

銀座松屋などのデパートでは、半年に1度「中古カメラ市」が開催され、催事場はいつも満杯。皆で競うようにライカをはじめとする1950年代〜1970年代に製造されたクラシックカメラを買い漁っていた。中古カメラを買うのはこうしたイベントだけではない。東京・銀座に集中していた中古カメラ店巡りを日課としていたのは、わたしだけではないだろう。もちろん、手帳型のLeica Bookをバッグに忍ばせて。

 

松屋銀座で2021年2月16日(火)〜21(日)に開催予定の第44回「世界の中古カメラ市」の告知ハガキ。

 

クラシックカメラブームに火を付けた二人の立役者

こうした中古カメラブームが起きたのには理由がある。発端は、1983年にカメラ毎日で始まった「カメラが欲しい」という連載記事である。著者、尾辻克彦(故・赤瀬川原平)によるこの連載は、それまでの新型カメラ一辺倒だったカメラ雑誌にはなかった、クラシックカメラに焦点を当てた内容で、カメラの魅力についての文章はもちろんのこと、丁寧に描かれたカメラのイラストが実に良い味を出していて、カメラ好きにはたまらない読み物となった。

 

 

 

もう一人の立役者は、雑誌カメラジャーナルをはじめ、数々の単行本やカメラエッセイで名を馳せた田中長徳氏である。当時は、まだインターネットが普及しておらず、中古カメラの情報収集は雑誌やパソコン通信(ニフティ 写真フォーラムなど)で行うしかない時代であった。当時の中古カメラマーケットにもっとも大きな影響を与えていたのはチョートクさんこと田中長徳氏であるのは周知の事実だろう。

 

  

 

かくいうわたしも、ニフティの写真フォーラムにはお世話になり、ライカやニコンの会議室に積極的に参加する毎日を続けていた。例えば、ライカの超広角レンズ、スーパーアンギュロンについて何か書くと、その翌日には同じレンズが高値で銀座の委託販売店に並ぶということがしばしばあった。ちょうど、現在のアンティーク時計と同じようにクラシックカメラは投機の対象でもあったのだ。

 

 

数カ月前に中古で買ったカメラやレンズの値段が高騰して、その半年後には1.5倍の価格で売れてしまうようなこともざらであった。当時の自分には投機という概念はなく、新しい中古カメラやレンズを購入するとすぐに試写を行い、しばらくコレクションをして満足したあとは他のカメラやレンズの購入資金のために売却するという流れだった。株などの投資と違い、実物を手にしてまるでモデルガンのように愛玩したあとは、買った値段よりも高く売れてしまうのだから、趣味としてこんなに良いものはない。

 

 

現在のアンティークウォッチと何が違うのかというと、カメラの場合は写真を撮るという創造性が加わるところである。単なるコレクションではなく、クラシックカメラで撮った写真も立派に作品として成立する点が決定的に異なる。わたしがアンティーク時計にまったく興味がないのはそれが理由だ。

 

写真フォーラムが発端となり「全日本ジャズ喫茶保存連盟」を発足

話をニフティの写真フォーラムに戻すと、当時わたしはライカの会議室で「全日本ジャズ喫茶保存連盟」を名乗って投稿していたのだが、やがて“ジャズとカメラ”という組み合わせに共感してくれた同好の士が次々と集まり、総勢15人ほどのメンバーで定期的にオフ会を開くまでに発展したのだった。最初のオフ会は、東京国際フォーラムでの撮影会である。建築の内観を28mmのLマウントレンズ(オールドレンズから最新型まで)で試し撮りするというものだった。すべて同じ条件で撮影された写真はキャビネ判にプリントして、後日行われたオフミーティングで参加者全員に配った。

 

 

「全日本ジャズ喫茶保存連盟」のオフ会は、やがてモデル撮影会へとかたちを変え、タレント志望のモデルさんが毎回参加するようになった。条件は、モデルさんもカメラマンもノーギャラで、モデルさんには後日お礼として写真をプレゼントすること、撮影会のあとはジャズ喫茶で打ち上げを行うことの2つである。中にはジャズに興味のない人もいて(笑)、そんな人は撮影会が終わるとさっさと帰ってしまうため徐々に人数は限られていった。

 

メーカーのフィルム製造中止によって状況が一転

フィルムメーカーが次々とフィルムの生産打ち切りを発表しだしたのは2000年前後のこと。ちょうどその頃、本業の広告プランナーの仕事も忙しくなり、休みもろくにとれないような日々が続いてしまい、「全日本ジャズ喫茶保存連盟」の活動は徐々に疎かになり、ライカなどのフィルムカメラを触る機会も激減していく。そして2003年の引っ越しを機に、持っていたライカはすべて手放すことになった。わたしのライカコレクションは、バルナック型からM型までのレンジファインダー機に関しては、ほぼすべてをコンプリートしていたので、レンズも含めるとかなりの数に上っていた。

 

 

数あるライカコレクションのなかで、わたしがもっとも気に入っていたのは、M4のブラックペイントにズミクロン35mm F2を組み合わせたライカだ。Mシリーズのなかでも、もっともメカニズムが洗練されていた1968年頃のM4の操作感は実に爽快で、他のライカにはないスムースな巻き上げと、M3やM2時代のエナメルペイントと比較するとペイントの質も向上しており、実用に耐えうる一品だった。今手元にあるのはライカ系ではMマウントのミノルタCLEのみ。高描写に定評のあるM-Rokkor 40mm F2と28mm F2.8の2本と一緒に防湿庫に鎮座している。

 

 

 

昨年の暮れには、愛用していたニコンFE2を2台とオリンパスOM2を手放し、代わりにニコンD5500を中古で買った。フィルムカメラで今でも手元にあるのは、前出のミノルタCLEに加えて、Nippon Kogakuの刻印が入った黒のニコンFとハイアイポイントの付いたNikon F3、それと日本のカメラ開発者として尊敬する故・米倉美久がつくったハーフサイズカメラの名機、オリンパス ペンSとEES、それにアンディ・ウォーホルが愛用していたコニカC35のみである。

 

 

フィルムからデジタルになっても、昔のニッコールレンズを使えるのがニコンD5500を選んだ理由だ。「報道のニコン、広告のキャノン」と昔から言われるが、自分にとってのニコンはライカ同様、メカニカルな操作性に惹かれてのものだ。

 

最近では、フィルムカメラがもう一度人気を取り戻している。ただ、かつてのブームとは異なり、京セラコンタックスやコニカなどのコンパクトカメラが人気の主流らしい。面倒な操作の必要がなく、写りが良くて高級感もあるというのが特徴だが、それは発売当初からも同じである。フィルムカメラに郷愁を感じて欲しがる世代も代替わりしたというのが実情だろう。海外、とくに中国の新富裕層にとって、かつて彼等が憧れていたであろう、1980〜1990年代につくられた日本の高級コンパクトカメラを欲しがるのは、我々が辿ってきたことと同じだ。

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