自分にとって、ライカとの別れとは何だったのか?
クラカメブームに乗って、ライカを買い漁っていたあのころ
わたしがクラシックカメラに夢中になったのは、1997年頃ころからだったと思う。それまでは、カメラよりもアップルのマッキントッシュにぞっこんで、LC475からさかのぼってPlusやSE/30などの初期のマックを中古で買っては、アクセラレータやグレースケールを増設してパワーアップを図るのに夢中だった。
そのころ、パソコン通信のニフティ掲示板に「Apple IIeを売ります」と掲示していると、関西方面のある方からライカのコンパクトカメラであるLeica Minilux(ズマリット40mm F2.4)との交換はどうか?という連絡がきたのだった。その提案に乗るかたちではじめてのライカを手にしたわたしだが、すこし前に中古で買って持っていた京セラコンタックスT2よりも操作感で見劣りするこのカメラはすぐに手放して、代わりにライツミノルタCLとMロッコール40mmのセットを65,000円である人から譲り受けたのだった。
いま思えば、これがライカウイルスに感染する最初のきっかけだった。ライツミノルタCLの操作感は、いたって爽快でコンパクトなのにズッシリとした重量感もあり、巻き上げレバーの感触といい、シャッターを切ったときのポシュッという音と指先への軽い振動がいかにも心地よく、もうこれだけで完全にやられてしまったのだった。
それ以降は、どこからお金を工面したのか自分でも不明なのだが、M型ライカはM6、M3、M5、M2、M1、M4、M6Jの順で、バルナック型にいたっては、DIII、IIIa、IIIb、IIIc、IIIf、DII、IIIgへと続き、ライカStd、A型、C型からIc、If、Igといった外付けファインダーを要するものを経て、ついにはブラックペイントのM4(オリジナル)、同じくブラックペイントのM3(※ライカ社にてトップカバー交換)、M2(高橋七宝塗装室 塗り)へと駒を進めていったのであった。
1台ボディが増えると、ベストマッチなライカレンズを揃えなくては気がすまないのがわたしの性分である。レンズもLマウントからMマウントまで、ズミルックス以外のおおよそすべてのレンズを揃えるまでに至ったのは言うまでもない。それに加えて、ロシアンレンズのルサール20mmやオリオン28mmなども好んで愛用しており、こうしたレンズにはライツ製のファインダーを組み合わせて前出のStd、Ic、Ifにコーディネートしたものだった。
こうしたライカやレンズを揃えると、必ず試し撮りを行なった。最初のころはそのほとんどが街並みのスナップで、自宅のあった神宮前から歩いていける原宿や青山は格好の被写体であった。原宿セントラルアパートが取り壊された跡地の工事中囲い看板(後のGAP、そして現在の東急プラザ)や、表参道ヒルズが立つ前の同潤会アパート周辺は黙っていても絵になり、その前を通り過ぎる人々もみな、それなりにスタイリッシュだった。これらの写真のほとんどは、ライカなどのクラシックカメラで撮影したものだ。
街角スナップからポートレートへと変わっていく被写体
比較的、容易に撮影できる街角スナップから、前回のブログでも触れた「全日本ジャズ喫茶保存連盟」の発足を機に、グループでポートレート撮影を行うことが増えたことにより、ライカの出番は徐々に減っていき、代わりに出動機会が増えたのはニコンF、ニコンFE2などの一眼レフカメラだった。広角レンズでスナップ撮影には威力を発揮してくれたレンジファインダー式のライカだったが、ポートレートとなると背景をぼかしたり、数人でモデルの撮影をする場合の距離感などを考えると明らかに不向きで、こういう場合は85mmくらいの焦点距離がないと満足な写真が撮れない。
90mmなどの望遠レンズを付けてレンジファインダー式ライカで撮影することも不可能ではないが、レンズを通した画角がそのままファインダーでプレビューできる一眼レフと比べて、レンジファインダーのそれは疑似フレームで撮影しなくてはならず、これではモデルの微妙な表情の変化も見落としてしまいかねない。
そこで、わたしが使用したのは前出のニコンに加えて、ハッセルブラッド500C+プラナー80mm F2.8の中判カメラだった。中判カメラとなると現像やプリント時のコストを考えると、気軽に街並みスナップを撮るわけにはいかないが、モデル撮影となれば話は別である。持っている機材を惜しみなく使うにはもってこいの機会なのだ。
ポートレートから恋愛写真へ そしてアラーキーの影響も?
モデルさん1名に対してカメラマン5〜6名で撮っていたポートレートだったが、これではモデルとの距離感がいつまで経っても縮まらないことが分かってくる。そのころ、わたしが撮りたかったのはアラーキーや篠山紀信のような写真で、そうなるとモデルも含めて撮影の目的も変わってくる。ポートレートという言葉から連想される写真とは、公園で女性とデートしているような設定までが限界で、アラーキーや篠山紀信の写真はそれを遥かに超えて疑似恋愛の域まで行かなくてはならない。こうなると、いっきにハードルが上がるのである。
この下の写真が良い例だ。上段の女性の写真には、撮影者とモデルとの関係性が写真に写り込んでいる。下段の写真の場合はポートレートである。ポートレートの場合は、構図も含めて完成された絵柄になりがちだが、上段の写真にはそうした作為性を超えて、そこにあるのは一種のドラマツルギーである。つまり、この写真が撮られたモデルとカメラマンの間に何があったのか?と見る者に思わせる距離感とでも言おうか。その意味では、映画のようなストーリー性を感じさせるのが恋愛写真なのだ。
では、以下の写真の場合はどうか? モデルがガラリと変わってロック歌手のよう(実際にバンドのヴォーカルをやっていた)だが、これもポートレートの域を脱していない。CDジャケットのメンバー紹介くらいには使えるかもしれないが、写真集に載せられるようなものではない。表情に固さが抜けてないのだ。いや、実際は彼女自身がこのように撮られたかったのだろう。
では以下に、自分が恋愛写真だと思うものをいくつか並べてみる。
これらの写真は、都内のカラオケボックスやホテルで撮影したものだ。モデルと撮影者のわたしだけの密室フォトセッションである。アラーキーも語っていることだが、ここまでくるとモデルと撮影者は一種の共犯者であり、同じ目的をもっていないとこうした写真は撮れない。写真を撮る行為は、あくまで疑似恋愛であって本当の恋愛ではない。本当の恋愛には、記念写真があれば良いわけで、こうした写真を記録に残す必要はないのだ。
最後に、自分にとってライカとの別れとは何だったのか?
ここで本題に戻って、写真機であり愛玩具でもあったライカとの別れは何だったのかを振り返ってみたい。ライカ収集をはじめたころ、わたしはある女性と同棲をしていた。その女性とは数年後に別れてしまうのだが、この別れがライカやレンズの収集から、撮影するほうへとシフトした大きな理由である。それまでの被写体が、街並みスナップからポートレートへと変化していく過程で、撮る対象によって機材を変える必要性を感じたわたしのカメラバッグには、ライカの代わりにニコンの一眼レフが入ることが増えた。
ちなみに同棲していた女性とは、ひんぱんに旅行や食事に出かけていたが、こんな時に持って歩くにはライカは良い。今ではスマートフォンがあるので、コンパクトカメラすら必要ではなくなったが、散歩カメラとしては例えデジカメになったとしても王道を行くのはライカなのだ。
では、ライカからニコンの一眼レフへと使用機材が代わったことがライカを手放した理由なのかというと、それだけではない、人生の深い意味がそこには潜んでいたのだ。当時、30代半ばだったわたしはフリーランスの広告仕事も忙しく、常に仕事が途絶えない状態だった。当然、中古カメラ屋に行く機会も減り、カメラに触るのは月に1回程度の「全日本ジャズ喫茶保存連盟」での活動くらいのものになっていく。
仕事が忙しくなり収入もすこし増えたわたしは、それまで住んでいた木造のアパートから鉄筋コンクリートのマンションへと引っ越しすることにした。では、その引っ越しが理由でライカを手放したのかというと、それだけでもない。一番大きな理由とは、ライカを愛玩具のようにコレクションしている自分が嫌になったからである。
防湿庫に入りきれないほどに溢れていたライカは少しずつ整理され、ネットオークションや中古カメラ委託販売店のウインドウへと流れていった。そして、時を同じくしてメーカーのフィルム生産打ち切りのニュースが流れはじめ、それから数年後にはライカの大暴落がはじまったのだった。運良くわたしはライカバブルの崩壊から免れ、暴落がはじまったころにはミノルタCLEしか手元に残っていなかったのだった。
ライカを処分して入ってきた収入は、当時10人ほどいた女性友達との交際費に消えていった。ある女性とは海外旅行や高級レストランへ行き、ある女性とは恋愛写真を撮ったりカラオケに行き、ある女性とは青山のクラブで出会って友達となり居酒屋へ行き、そしてまたある女性とは朝方まで飲み明かした挙げ句に部屋へ泊めてあげたりといった具合に、仕事から開放された時間はライカではなく、生身の人間との付き合いのほうに費やすようになったのだ。
当時はまだ独身だったことも大きかった。10人の女性たちとは仲良く楽しい時間を過ごしたが、恋人関係へと発展する相手はいなかった。ライカコレクションからガールズコレクションへ。これは冗談だが、いま思えばライカとの関係も、彼女たちと同様に深く長い付き合いではなかったということだろう。でも、未だに古いライカを街で見かけると、初恋の女性と街で偶然出会ったかのように視線が釘付けになってしまうのは自分の性なのだろうか(笑)。
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