アカサカベースの廃盤アワー 第9話
グラシェラ・スサーナ「愛の音」
今回紹介するのは、1972年9月に東芝EMIから発売された、グラシェラ・スサーナの「愛の音」だ。スサーナは、アルゼンチン出身の歌姫で、菅原洋一がアルゼンチンの音楽喫茶「ビエホ・アルマセン」(アルゼンチンの歌手、エドモンド・リベロが経営していた)で知り合った。当時、彼女はまだ若干18歳の少女だったが、情感たっぷりに観客の心をとらえて離さないスサーナの歌唱ぶりに感銘を受けた菅原は、その場で彼女をスカウトし、日本の歌「忘れな草をあなたに」「愛さないの愛せないの」「誰もいない海」の3曲をわたして「覚えておいて」と伝えたという。
1971年の秋、スサーナはふらりと日本へやって来た!
菅原洋一から渡された3曲の日本の歌を大急ぎで覚えたスサーナは、さっそく日本へとやって来る。こうした身軽さ、一期一会のチャンスを見逃さないチャレンジ精神こそが、スターへの第一歩であることは昔も今も変わらない。来日したスサーナは、菅原のコンサートのゲストとしてステージに上り、ギターの弾き語りで歌い始めると、場内は静まり返って曲ごとに盛大な拍手を送った。まさに手応え十分の日本デビューだったのだ。
来日から帰国までの1カ月間にレコーディングされたアルバム
このアルバム「愛の音」は、スサーナが滞在していたわずか1カ月の間に、1曲5時間のリハーサルを重ね、1日1曲のペースで完璧な日本語と情感のこもった歌唱をレコーディングしていった、生の記録である。日本語の詩の意味は「教わらなくてもいい」と言った。曲を聴けば、即座にその歌が言わんとしている意味を理解できるというのだ。メロディーの起伏のみで、即座にその歌を自分のものにできる才能は、このアルバムのなかに見事に花開いている。
Youtubeの出現により、今でこそ日本の歌が海外のアマチュアシンガーに歌われて、その動画がきっかけで日本のテレビに出演するということも珍しくはなくなったが、1970年代にはもちろんそんな環境はない。アルゼンチンの音楽喫茶で菅原洋一と出会わなければ、スサーナのシンデレラ・ストーリーはあり得なかったわけで、これぞまさに運命的な出会いといえるだろう。
アルゼンチンの国民性が生んだ天性の才女
素顔のスサーナは、屈託のない明るさを持った少女だったそうだ。ところがひとたび、歌いはじめると女の情感、熱い思いを魂を込めた歌唱で目の前の人を驚嘆させる。まさに、南米の風土と国民性が生んだ天性の才女だったのである。
アルバムに収録された日本の歌は、完全にスサーナのものとなって「天使の歌声」が、ときに情熱的に、ときにもの悲しく、ときに朗々と日本語の詩を綴っていくこのアルバムは、上質な編曲と演奏も相まって素晴らしい日本のフォルクローレとでも呼べる名盤だ。
アカサカベースのある赤坂を舞台にした曲「コモエスタ赤坂」も収録されていて、個人的にも忘れられないアルバムである。
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