オリジナル小説「秘密の八重歯」第一章 – 13
心に咲いたサクラも儚いのか
キヨがフィルムを送ってから2日後、ふたたびCAPを通じてGHQ高官から封筒が届いた。封を開けると、キヨの成果を称える手書き文とともに、現像焼付けされた写真が入っていた。空地で撮影した歯科技工士Mの写真である。写真は、GHQ内のラボにより、その顔がはっきりと確認できるサイズまで拡大されていた。

キヨは、Mの写真をしばらく見つめて、その顔の特徴をしっかりと頭に記憶させた。メガネをかけているMの頭髪は短く、濃い口ひげが特徴だ。次の写真を見ると、それは「真姿の池」のほとりでキヨが撮ったY氏の写真だった。カメラを抱えて、すこし照れたような表情で写るY氏の写真を見た途端、キヨは複雑な思いにかられていくのを抑えられなかった。それまでの冷静な気持ちとはうってかわって、どこか母性をくすぐられるような不思議な感情だった。
諜報活動に没頭するあまり、Y氏のことは一時的に忘れていたのだが、写真を見た瞬間にその思いが再燃してきて、そうなると彼の健康のことが気になって仕方がないのだった。GHQが追っているのは“放射能をおびた危険な隕石”である。「真姿の池」のほとりで聞いたY氏の話が事実なら、その隕石を触った彼は被曝していてもおかしくない。
GHQ高官の手紙には、今後は別の諜報員をY氏の監視役に付けるので、次からはターゲットをMに切り替えるようにとの司令が書かれていた。前回、キヨがはじめて送ったフィルムには、Mの作業場の外観と共に喫茶店でチャーミングな笑顔を浮かべるキヨの写真が含まれていた。そう、キヨとY氏が喫茶店で会った際に、Y氏がキヨのカメラで撮影した一枚である。
そして、2回めにキヨが送ったフィルムには、小さな滝のふもとで照れ笑いを浮かべるY氏の姿が写っていた。これらの写真を見た高官は、二人の間には恋愛感情が芽生えているのではないかと思ったかもしれない。諜報活動に恋愛は禁物である。しかもキヨはY氏の秘密を知りすぎている。このまま二人を接近させたままでは、いずれキヨの身に何かが起きてもおかしくない。

そのころ、GHQがもっとも手を焼いていたのは、従属と化した日本の警察よりも、自警団という名目で急速に勢力を広げていた愚連隊のほうだった。GHQは、東京代々木の原にあった旧陸軍練兵場を米兵たちの居住地にするべく準備を進めており、その広い野原は米兵とパンパン(街娼)が屋外デートをする秘密の園と化していた。そんな彼らを見てもお咎めなしの警官たちに対して、自警団は特攻隊のように彼らに立ち向かい、米兵を巻き込んだ激しい暴行事件が後を絶たなかったのである。
QHQは、こうした自警団に手を焼く一方で、日本の闇組織と裏では手を組み、財閥に顔が利くヤクザの存在を重要視すると同時に恐れてもいた。もし、キヨが我々を裏切って闇社会のほうに靡けば、非常にやっかいな事になりかねない。高官が、キヨをY氏に接近させたまま放置するのは危険であると考えるのは当然のことだろう。
高官にしてみれば、せめてもの記念にという粋なはからいの気持ちで二人の写真を手紙と一緒に送ったのかもしれない。二人の写真は、キヨだけではなく新たにY氏をマークする諜報員の元へも同時に送られているはずだ。Y氏に新たな監視役が付くということは、密会してもすぐに嗅ぎつけられることをキヨは誰よりも知っている。今回の司令は、二人の別離を宣告されたのと同じことなのだ。

高官からの司令を読んだキヨは、Y氏を思う気持ちを必死に抑えようとしたが、このまま彼と音信不通になるのはかえって不自然ではないかと思い立ち、Y氏に向けて手紙を書くことにした。
前略
先日は、おいしい珈琲ごちそうさまでした。また、お連れくださった「真姿の池」でのひと時は、たいへん良い思い出となりました。その時に先生から聞かせていただいた流れ星の話もとてもロマンティックで素敵でした。
突然ですが、わたくし9月から海外へと留学することが決まり、その準備のために麻布の実家へ帰ることになりまして、それをお知らせしたくて手紙を書きました。今後は直接お会いするのは難しくなろうかと思います。どうか、身勝手なわたしをお許しください。
もし、よろしければ、今後はこうしてお手紙でお付き合いできたら幸いです。
追伸
先日のお話ですが、隕石には放射能が含まれていて、それを触ると体に悪影響を及ぼす可能性があるそうです。先生も、念のため病院で検査を受けられてはいかがでしょう。まだ、肌寒い日が続きますので、くれぐれもお体のほうご自愛くださいますように。
キヨは、手紙に自分の写真を添えて封筒に入れると、近所の郵便局まで手紙を出しに行った。満開の桜から、きらびやかに舞う花びらが眩しく映る、春らしい日差しにつつまれた午後だった。
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