オリジナル小説「秘密の八重歯」第三章 – 1
第三章
立川基地での新生活と、愛息子との再会
キヨとリチャードは、4年間住んだワシントン郊外のアーリントンの自宅を引き払い、東京の立川基地にあるアメリカンヴィレッジへと引っ越しを済ませた。結婚から7年が過ぎた1954年10月のことで、キヨは32歳、リチャードは44歳になっていた。
二人とも立川基地へと引っ越したら、すぐにでも息子のノエルに会いに行きたかったのは言うまでもない。キヨは、実家へ向けた手紙でリチャードと二人で日本に戻ってくることは伝えており、落ち着いたらノエルに会いに行きたいと書いておいた。
アメリカンヴィレッジの住宅は、まずまずの広さでベッドやソファーといった家具はもとから付いており、必要な家電などを購入すればすぐに生活できるようになっていた。リチャードとキヨは、自分たちの衣類と大切な小物が入ったトランクケースを新しい家へと運び終えると、アメリカへの帰還兵が処分した中古の家具や家電製品などを売っているマーケットへ行って必要なものをそこで揃えた。
マーケットで売られているものは、そのほとんどが舶来品である。キャンプフィンカムでの生活は、スーパーで売られている食品や飲料、洗剤、歯磨き粉といった生活必需品にいたるまで、そのすべてがアメリカそのものだった。
無事に引っ越しを終えて部屋の片付けなどが一通り済むと、キヨは実家に電話をかけて、リチャードを連れて実家に顔を出したいと伝えた。リチャードにとっては、初の訪問であり両親と会うのもそれがはじめてである。その週末、立川から国鉄で千駄ヶ谷駅で降りた二人は、そこからタクシーを拾い、麻布の笄町にあるキヨの実家までクルマを走らせた。
実家の前でタクシーを降りた二人は、その邸宅をしばし見つめてから玄関のドアをノックした。すぐにシズが出てきて二人を部屋のなかへと招き入れてくれた。キヨはリチャードをシズに紹介し、手みやげの菓子折りを彼女に手渡した。その物音が聞こえたのか、やがて二階から父と母も下りてきた。キヨは、父と母に向かって丁寧に挨拶をすると、自分の夫を紹介した。
「隣にいるのがわたしの夫、リチャードです」
キヨがそう紹介すると、リチャードは深々と頭を下げて日本語で挨拶した。
「リチャードです。よろしくお願いします」
リチャードとキヨは、父母に促されて居間のソファに腰を掛けた。リチャードは、両親への挨拶が遅れたことを詫び、息子のノエルが世話になっていることの礼を、キヨの通訳を通して伝えた。婿が米軍中佐であることを伝えられていた父母は、はじめは緊張している様子だったが、ジーンズにフランネルのシャツというカジュアルな格好のリチャードを見て安心したのか、少しずつ会話も交わすようになっていった。

リチャードは、居間のとなりの和室に置いてある仏壇を確認すると、亡くなった義兄に手を合わせたいとキヨに言った。2年前に結核を患って亡くなったと聞いているが、仏壇に飾られている写真は意外にも軍服姿である。見るかぎり日本陸軍の将校が付ける襟章のようだ。リチャードは、それについては言及せず、仏壇で手を合わせてから居間へ戻ってからこう言った。
「ところで、息子のノエルはいまどこにいるのですか?」
キヨが日本語で通訳すると、シズが答えた。
「もうすぐ、幼稚園が終わる時間なので迎えに行ってきます」
それを聞いたリチャードは「できれば、わたしも一緒に行きたい」と言った。キヨも同じ気持ちだった。二人は、実家から歩いて7分ほどの場所にある私立幼稚園にノエルを迎えに行くことにした。シズがノエルを連れて来るまでのあいだ、正門でリチャードとキヨが待っていると、もの珍しそうに園児たちがリチャードを見ている。やがて、シズと一緒にノエルがこちらに向かって歩いてきた。年長に成長していたノエルは、見違えるほど大きくなっていた。

「ノエル!」
リチャードがそう叫ぶと、ノエルは首をかしげながらゆっくり近づいてきて、キヨを見るなり走って駆け寄ってきた。
「ママ 帰ってきたの?」
「そうよ、パパも一緒よ。ほら、パパを見て」
ノエルは恥ずかしそうにリチャードを見たが、近づくそぶりを見せなかった。無理もない、米軍基地を転々としてきたリチャードが息子と過ごした時間はあまりにも短く、3歳半から3年ものあいだ日本人として生活してきたノエルにとって、目の前にいる背の高い白人男性をパパと呼ぶのには抵抗があったに違いない。
リチャードは、そんなノエルに近づくと息子を抱っこしてフライハイをした。6歳半のノエルは体重も増えており、体を鍛えているリチャードでもそれなりの力を要した。しかし、こうしたスキンシップが父子のあいだで大事なことはリチャードはよく知っている。
実家へ帰るあいだ、ノエルはリチャードに肩車をしてもらいながら道を歩いた。はじめての高さから見るその景色は、いつもとはまるで違って見える風景だった。
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