オリジナル小説「秘密の八重歯」第三章 – 5
立川基地拡張計画の影で起こった日米間の摩擦
リチャード家が立川のアメリカンヴィレッジに住みはじめてから2年後の1957年7月、立川基地の滑走路拡張に向けて、特別調達庁東京調達局が周辺を強制測量をした際、基地拡張に反対するデモ隊の一部が、アメリカ軍基地の立ち入り禁止の境界柵を壊し、基地内に数メートル立ち入ったとして、デモ隊のうち7名が安全保障条約における行政協定違反で起訴されるという事件が起こった。

この事件は「砂川紛争」へと発展し、大きな社会問題となっていった。全学連も参加し、その後の安保闘争、全共闘運動のさきがけとなる学生運動の原点となった事件である。基地拡張の指揮官だったリチャードは、この騒動の矢面に立たされるようになった。もともとディベートが得意だったリチャードに、この紛争におけるアメリカ軍の正当性を、日本の政治家や市民に訴える役が回ってきたのだ。
「砂川事件」は、アメリカ大使館のなかでも大きな問題となっていく。単なる地域紛争の領域を超えて、日米の外交問題へと発展しかねない火種となっていたからである。一方のCIAでは、日本に左翼活動家や共産主義者が台頭するのを一番危惧していた。大使館別館で広報部に在籍していたキヨの周辺も、日米世論をうまくコントロールすべく情報操作に躍起になっていたのだった。

ノエルが通うアメリカンスクールでは、ヴィレッジから外に出ないよう生徒たちに指導するようになった。そんな世相の真っ只中とはいえ、好奇心旺盛な少年ノエルにとっては、基地の外へと飛び出す欲求をなかなか抑えることが出来ず、基地内のマーケットへの物資の供給で頻繁に訪れるトラックに紛れるなどして脱走を図っては、立川の駅前で出会った少年Sたちと合流して、繁華街を中心にさまざまな悪戯を重ねていたのだった。
ノエルがアメリカンスクールの4年生になるころには、少年Sとは固い友情でつながる同士のような関係になっていた。アメリカ空軍の中佐を父に持つノエルと、警視庁第八方面機動隊の白バイ警官の父を持つ少年Sとは、共通するところがあったのだろう、二人はよくウマが合ったのだ。年齢はノエルが1歳上だったが、日本とアメリカで異なる入学時期の関係もあって学年は同じである。

ノエルと少年Sは、次第に立川の悪童グループのリーダー的存在へと君臨していった。お互いに、アメリカ軍人と警察官という父の後ろ盾も大きかった。父親が権力側にいる自分たちは、一般庶民の不良少年とは立ち位置が大きく異なる。ケンカなどで窮地に立たされたとき、親父の存在を匂わせることで、そうした修羅場をくぐり抜ける術をお互いに身につけていったのだ。
少年Sは、アメリカンヴィレッジでの生活に強い憧れを抱いていた。日米の友好を祝うフレンドシップフェスティバルがあるときは、ノエルに招かれて基地の中を見学させてもらった。なかでも少年Sがもっとも興味を示したのは、基地内を走るアメリカ車や戦闘機である。

そして、ノエルの家を訪ねた際にはじめて聴かせてもらったアメリカの大衆音楽、なかでもエルビス・プレスリーをはじめとするロックのレコードに少年Sはしびれた。ロックには、社会への反逆精神が色濃く感じられたし、そのファッションがとにかく不良っぽくてカッコよかったのだ。基地内のマーケットでは、アメリカで流行っているレコードを買うことができた。
日本では、日劇のウエスタンカーニバルが始まり、ミッキー・カーチスをはじめとするロカビリー3人男がデビューしたころである。輸入レコードが一般家庭に入ってくる前から、ノエルと少年Sは本場アメリカのロックに触れて、その魅力に夢中になっていったのだ。次第に基地の憲兵とも顔見知りとなった少年Sは、学校が半ドンで終わる土曜日には立川基地で催されるロックコンサート目当てにヴィレッジへ通うようになった。コンサートを観ながら食べるハンバーガーやホットドッグ、コーラのおいしさも格別だった。
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